は1.8432平方キロメートルで、総人口は約950万人です。そのうち中心部が面積約1637平方キロメートルで、人口は約570万人です。 ハルピン(哈爾濱)の歴史ですが、19世紀末まで小さな漁村にすぎなかったハルピンは、清朝と帝国ロシアの不平等条約によって開始された東清鉄道の建設をきっかけに劇的に変化しました。。その帝政ロシアの支配の下、人口は急激に増えていき、中西文化の融合が典型的移民都市ハルピン(哈爾濱)に独特の風格を持たせ多様な文化の洗礼のもと小さな漁港から都市への飛躍をもたらせました。
20世紀初頭には秋林公司や馬迭爾賓館といった現在も著名な欧風建築が数多く建てられて、これらの欧風建築物があることによって今のハルピンは“東方のモスクワ”、“東方の小パリ”などと呼ばれています。また移民都市であるため市内に住む人々は非常にきれいな標準語(北京語)を話します。
そしてハルピンは日本と非常に関係の深い都市です。ハルピンに日本人が増えたのは、日露戦争が始まった1904年ころです。このころには日本人の人口が1000人を超え、1909年にはハルピン駅で伊藤博文が暗殺されるという事件も起きました。
歴史のきまぐれにより市内には様々な異国情緒にあふれた建築物があり、商業地や住宅地に限らず風格のある西洋古典式・ビザンティン式・ゴシック様式・アール、ヌーヴォー様式・アールデコとモダニズム・中華バロック式(西中折衷式)シベリヤ様式・イスラム様式などのさま名建築物があります。
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